【民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある】展を観賞して

民藝についてあらためて考えてみる

8月の最終日、以前から気になっていた民藝 MINGEI―美は暮らしのなかにある展を干渉するために、大阪中之島美術館へ行ってきました。
(民藝とは何か、については日本民藝協会のサイトで詳しく説明されています。よろしければこちらから。)

私は民藝的なものは好きですが、SALUKではあえて取り扱わないようにおりました。
というのは作家さん一人一人をクローズアップしていきたいということと、(既にご活躍の作家さんばかりなのですが)微力ながらも作家さんの発展に貢献したいという想いからです。

その人物像を知ることによって作られる作品に対して愛着が芽生えるというか、そのモノをよく知るということに繋がると考えております。
しかしお店で取り扱うか扱わないか別にして、あらためて民藝に対しての理解を深めたいと思えるような展覧会でした。

この展覧会では名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具のコレクションの他、産地の様子や抱える課題にも焦点を当て、紹介されていました。

特に印象に残ったのが小鹿田焼の里。一子相伝で小鹿田焼を作り続けるこの村では、豊かな谷川の水を動力に使い、土を砕いています。その光景の美しいこと。近いうちに訪ねて実際に見てみたいという興味をそそられます。

初めて小鹿田焼を見たときは一目で好きになって、器好きの母などにプレゼントしていました。いつしか小鹿田焼がブームのような現象が起こり、目にする機会が増えると、インディーズバンドがメジャーデビューしたら離れていくファンのように、しばらく気持ちが遠のいておりました。
それはこれまで自分がビジュアルだけで小鹿田焼を見ていたからだと気づきました。

今回映像やインタビューだけでしたが、一つのモノの中に連綿と続く人の手しごとが詰まっている凄みと奥深さを感じました。
それでいて当のモノたちは、うやうやしさを強制することなく、ただそこにあるのが必然のような佇まいなのです。これは柳宗悦さんもハマるなぁと思いました(彼について多くを知っているわけではありませんが)。

また作り手の方達は幼い頃からモノづくりが近くにあったから、当たり前のようにそれを作る、という方々が多いのも印象的でした。
私は工芸品もモノづくりも好きですが、モノが溢れているこの時代に自身が金属工芸作家としてモノを作ることの意義について躊躇うような気持ちになることがたまにあります。
しかし作り手の方達の自分がそうするのが当たり前のようなモノづくりの様子を見ていると、「考えるな、感じろ!」と背中を押されているような気がします。

東北地方で盛んに作られた刺し子も、機能面だけを考えるならばあそこまで凝らずに済んだものを、デザインを考えたりそれに沿った緻密な針仕事をしていたのは、それを着る人が喜ぶ姿を想ったり、自分が着たいものや着やすいものを作ったり、自分がやりたいからそうしてたのだろうと思います。
見出した楽しみや実直さが、モノから溢れているのです。

そのような手しごとに触れると結局作りたいもの作れば良いんじゃない?という結論に行きつきました。手を動かし続けることで何かが分かるような気がするけれど、分からなくてもそこに愛おしいと思える瞬間があればそれでいい気がします。

丁寧な暮らしって何だろう

民藝的な展示や雑誌で工芸特集がある時によく見かけるフレーズ「丁寧な暮らし」。
何となくイメージは湧きますが、私もこの展覧会を見てあらためて考えてみました。

私にとっての丁寧な暮らしとは、季節の食材を吟味し、それに合った味付けをし、お気に入りの器に美しく盛り付けて、欲を言えばその食事に合うお酒(飲み物)を用意して、気心知れた人たちを食事を楽しむことかなぁと思います(結局食べること!)。

丁寧な暮らし。
それは現代の日本では特別難しいことではないのかも知れません。ただ皆がそれを憧れと捉えるのは変化の激しいこの社会で生活する中で、コストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを求め、あるいは求められ過ぎて疲弊してしまっているのかもしれません。

一見無駄に思われ効率化されがちな時間の中にこそ、心の平穏を得るために必要なエッセンスが隠されているのかも知れませんね。

皆さんにとっての丁寧な暮らしとはどのようなものでしょうか。
コメントお待ちしております(笑)。

SALUK店主 Kanako Kai

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